聖徳太子の命により建立された下野八薬師

当山の正式名称は寺岡山施薬院薬師寺。寺伝によると、聖徳太子の命よって建立され『下野八薬師』と称されていたと伝えられております。

江戸時代、崇保院宮前天台座主准三后一品公寛法親王が上野東叡山寛永寺(輪王寺門跡第六世門主)をされていた時、足利市寺岡町出生の亀田庄左衛門則重公が永年身命を賭しての忠節を認められ【 日本に三幅 しか現存しない】元三慈恵大師尊影御真筆を拝領しました。

その後、尊影御真筆を寺岡山施薬院薬師寺に奉納するに至り、以来、寺岡山薬師寺は寺岡山元三大師として厄除け・商売繁盛の祈願寺として江戸の人々の信仰を受ける。

檀家をとらず、祈願寺のみの寺院として歩んできた経緯には、当時の栄華と信仰の顕れが伺える。